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ボランティアやめるか [自然]

DSC06846.jpg(広島のうちのお墓の前の田んぼ)

「ボランティアしに広島行こうと思う。」
7月に妻にこう言ったら
「あー、お手伝いね。おっけー。」
という返事が帰ってきた。


もうそろそろ「ボランティア」に変わるワードが必要だと感じました。
そもそもボランティアは志願兵などの意味から始まっているらしいです。ウィキによると。


災害時の支援でボランティアいくのと、どこかNPOなどの活動に賛同してボランティアに行くのとなんか印象が違うように思います。


災害ボランティアにはいろんな思いがそれぞれの方にあるような・・・。
自分が前に助けられたから、居ても立ってもいられなくて、友達が行くから、経験してみたかったから、誰かの助けになりたかったから、近くだったから、保険が生業だから、友達の為に。


ボラセンに集まる面々は、
そういえば昔派遣のバイトで働いていた時のように、これからどこに連れていかれるかもわからず、でもこのあと確実にきつい作業が待っているのだが、どんな人がグループになるかもわからず、若干不安だが頑張らねばならないという顔をしてバスを待っているようにも見えました。
(昔、派遣バイトきつかったけど、色々頑張ってやってました。)
多少義務感を持ってやってくる人もいるような。
(みんながみんなそうってわけじゃなくて、あくまでも派遣バイト時代を思い出したということです。明るく参加されてるかたもたくさんいて、僕の心境のせいもあるね!)


そうやって、みんながそれぞれの思いを抱えて活動している。
「自分のできることは、たかが知れている」

無意味かも知れないし、偽善かも知れないがそれでも、それでも何かできることはないかと自分に言い聞かせて。



でもね、
「お手伝いに行くんだ」と思ったら単純明快、とってもシンプル。
「ボランティア」ってなんとなく高尚な感じ?自分だけかな。意識高い系みたいな。
「お手伝いに行くんだ」だとなぜか「ボランティアに行くんだ」よりももっともっっと身近でハードル低くなって、隣の人の手伝いをしにちょっくら行ってくっぜ!というぐらいの感じ。

「水害で困ってる人がいるから、お手伝いに行こう」


お金にもならんのにとか色々思うけど、お手伝いならお金にもならんで普通じゃもんね。
でも、鹿児島から?わざわざ行く?一人で?

そういえば奄美豪雨の時も、東日本の時も、熊本地震の時も色々あっていけませんでした。
あんまりもう色々理由つけたくなくて、頑張って仕事一段落させるのに必死で、でも今回は災害から三週間かかりました。




あの時、僕、助けてもらったんで。


全国のたくさんの人に助けてもらいました。
名前もどこに住んどんのかもわからん人に助けてもらいました。
お金も分けてもらいました。
なんで、こんなに助けてくれるんじゃろうって思ってました。
今でも思い出すと泣けてくる。
なので、一生かけて返していけたらと思ってます。


たかだか三日間行ってきただけですが、少しはお手伝いできたかな?
その間、妻子供には家の仕事をがっつり任せて行きました。三日間ガッツリ田んぼ仕事、発送作業など相当しんどかったと思います。
家族にも感謝です。


災害時における、ボランティアに代わる言葉としては縁助活動(えんかつ)とか、結い活動(ゆいかつ)なんかハマるかなと思いましたが、わかりません。
言葉、意外と大事だったりしません?
とりあえず動詞としての「ボランティア」は「お手伝い」がいいなと思いました。

DSC06861.jpg

最後に、被災地広範囲ですが多分どこも人足りてません。
一ヶ月たってもまだ今から復旧というところがあります。
僕が行ったのは広島の「坂町」でしたが、人、もっといるといいなと思いました。
何か支援方法、色々あると思いますが、まずはスコップでの一掻き。これに勝る支援はないなと現地で感じました。

再度行けるか、ちょっと仕事的に微妙ですが、とにかく田んぼも頑張らんないけんので、本業第一で頑張りたいと思います!!

DSC06864.jpg
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